本日の朝日新聞デジタルの記事に、昨年夏からの介護保険制度の改正で親の介護費の負担が増えて、致し方なく「両親を離婚させて介護保険の補足給付を受けさせるしかない」というほど悩んでいる東京都内の男性会社員のお話が載っていました。
ご両親の経済状態は月額にして約28万円の年金があり、普通に考えれば生活できない状況ではないようにも思えます。
ただ、要介護度5の母親は特別養護老人ホームに暮らしていますが、その毎月の支払いが、介護保険制度の改正で昨年夏以降、月約8万円から約17万円に倍増したそうです。
自宅で暮らす父親への仕送りを毎月4万円しておられますが、それでもご両親の生活費は厳しい状況のようです。
そこで<両親を離婚させて再び補足給付を受けるしか手段がないと思い悩み、弁護士とも相談している>と記事にありました。
この男性会社員の方のご両親は、月額28万円の年金があっても「こんな負担増が続けばいずれ暮らしが成り立たなくなる」状態に陥っています。
まさに「揺らぐ中流」と言えます。
記事の中に「自治体の生活相談窓口では、担当職員から『国にはもう財源がない。生活プランを見直して欲しい』と言われ、在宅介護も勧められた。」ともありました。
いま現在、「国にはもう財源がない」となると、今後、さらに増えていく介護が必要な高齢者の方へのサービスは、いったいどうなるのでしょうか。
消費税10%への増税が再延期されましたが、それに伴い社会保障の財源の確保が不透明になりました。
介護が必要な人は増えるばかりで、高齢化社会は待ってくれません。
安倍首相は社会保障の財源について「アベノミクスの果実を充てる」とされていますが、それほど美味しい果実が収穫できると期待して、その収穫に頼ってしまって良いものなのでしょうか。
もちろん、アベノミクスの果実の収穫には期待せざるを得ませんが、自然の果実を収穫する時も、豊作の時もあれば凶作の時もあります。
でも「もしアベノミクスが凶作になってしまったら、介護が必要な高齢者が日増しに増えている現状で、待ったなしの社会保証の財源確保はどうなるの?」ということは、誰もが不安すぎて口にも出せない状況ということでしょうか。